野村工務店の歩き方
たいていの買い主は、契約締結と同時に払う「手付金」にしても、引き渡しまでの間に払うことが多い「中間金」にしても、業者のいわれるままにカネを渡しているというのが取引現場の実情だ。
もちろん契約締結後、そのまま最後の残金決済までゴールしてしまえばそれはそれで問題ないのだが、そうすんなりとはコトが運ばない。
「すみません、実は大変申し上げにくいんですが」心変わりした買い主から連絡があって、そこで初めてなにも疑うことなく受け渡しが行われてきたカネの法的な解釈について、関係者相互に認識の食いちがいが露呈するのである。
それでは結局のところ業者の説明不足に問題があるのかというと、もう少し根は深そうだ。
というのは、業者の中にはカネの授受にからむ法的な解釈について、説明するどころか自分自身きちんと把握していない人も少なくないからだ。
「もしどうしても解約なされるんでしたら、マンション分譲会社である弊社に手付金とは別に違約金を払っていただきませんと」「中間金までいただいたんですから、手付放棄による解除はできませんね」まことしやかに聞こえるこのような主張も、実はすべて契約をまとめようとあせるマンション分譲業者の勝手な理屈によるまちがった発言なのである。
けれどもこのように業者にまくしたてられて、臆することなく毅然と反論できる人が世の中にどれだけいるだろうか。
なにしろ主張している業者自身、自分のまちがいに気づかず頭からそれが正しいと信じている人も多いのだからよけいにタチが悪い。
八割がた完成したマンションでも解約できる売り主、買い主双方の解釈に食いちがいが出てモメるのは、手付金に関することが多い。
もちろんその原因は、不動産売買における手付金とはいったいどういうものなのか、正確に把握できている人があまりにも少ないからだ。
一口に手付金といっても、各契約ごとにその支払いの趣旨はさまざまだ。
つまり、契約の成立を証明する証拠という趣旨(証約手付)で支払われたり、当事者に債務不履行があった場合に損害賠償とは別に没収できるという趣旨(違約手付)で支払われたりするのである。
けれども通常の不動産取引では、手付金イコール「解約手付」と思っていてよい。
つまり、契約の相手方が履行に着手するまでの問、つまり、契約内容を成し遂げようと行動に移る前の段階であれば、買い主は支払った手付金を放棄すれば(手付流して売り主は受領した手付金の倍額を買い主に返せば(手付倍返して契約を解除できるという趣旨で支払われるものであるわけだ。
民法でも第五五七条一項に、「手付流し」と「手付倍返し」のことが記されている。
特に売り主が業者である場合は、宅建業法第三九条二項により、自動的に解約手付とみなされるのだ。
手付金の性格づけがこのように明確なわりには、取引の現場において売り主、買い主双方の言い分に食いちがいが生じている。
その原因は、解約手付としての有効期あいまい限、つまり「履行に着手するまで」という表現の暖昧さによるところが大きい。
どこを越えたら履行に着手したとみなされるのかが釈然としないのである。
残念なことに、これについては判例も少ないので、よけい当事者各自の勝手な憶測が先行してしまい、トラブルに拍車をかける傾向にあるようだ。
弁護士に説明を求めても、法律の専門用語の羅列による解説はどうもピンとこない。
「所有権移転の仮登記申請をしたら売り主は履行に着手したとみなす」であるとか、「売買代金との引き換えに契約した不動産の引き渡しを請求したら買い主は履行に着手したとみなされる」とか、たしかに判例に基づいた一応の基準はあるようだが、現実感に乏しいというのが正直な感想だ。
実際、基準はあくまでも基準であって、すべて現場はケースバイケース、そんな簡単に割り切れるものではない。
結局、解約手付にからんだ紛争が起きて、その原因の中身を探ってみると、判で押したようにこの「履行の着手」という表現にまつわるものばかりということになる。
けれども興味深いことに、この手の紛争は、数が多いわりにはある種のパターンがあるといわれていて、おおむね次の二種類に大別されるのである。
一つは、買い主が手付けを放棄して解除権を行使したところ、売り主は履行の着手があったことを主張して、損害賠償を請求してきたというようなケース。
もう一つは、中間金等を払ってしまった時点で買い主が解除を主張して手付金以外のカネの返還を求めたところ、売り主は履行の着手があったことを主張して損害賠償金額として返還を拒否するというようなケースである。
先日、新築マンション購入の解除であわや大損しそうになったWさんの例も、まさにこの履行の着手についてどう解釈するかが問題となった。
「この間、新築マンションを買ったんですけど、急な事情で解約せざるをえなくなってね。
手付けは流すから、その後払った中間金は返還してほしいってマンション分譲会社の営業マンに伝えたんですよ」ところがWさんの連絡を受けた営業マンには、まるで相手にされなかったというのである。
「そうおっしゃっても中間金まで入れていただいていますから、簡単には解約できませんよ。
だいたい建物だって八割がた完成しちゃってますしね。
こういうのを履行に着手したっていうんですけど、そうなると入金済みの中間金は損害賠償として没収ってことで返せないんですよ」結局Wさんは、営業マンの巧みな話術に言いくるめられてしまい、契約解除を断念した。
ところがそれから半月後、不動産屋を営む友人にこの件をこぼしたところ、それはおかしい、ということになった。
そしてなんと友人がその営業マンに電話を一本、直接かけあってくれたところ、すんなり支払済みの中間金が戻り、契約も無事、解除ということになったというのである。
「私の場合、たまたま友人が助けてくれましたけれど、普通はあのまま泣き寝入りというパターンなんでしょうね」Wさんの場合、相手の営業マンの発言のどこにまちがいがあったのだろうか。
業者の発言には二つのウソがあったのである。
一つは、中間金まで入れたんだから、というくだり。
買い主にとって、手付流しによる解除ができるか否かの分かれ目は、前述したとおり履行の着手があったかどうかだけで判断される。
ところがここに最高裁による一つの判例があって、履行の着手は解除権を行便しようとする者の相手方の行為で判断するとなっているのだ。
つまりWさんのケースはWさんの相手、すなわち分譲業者の履行の着手だけが判断の基準となる。
つまり、いくらWさんが中間金を入れようとなにをしようと、いってしまえばまったく関係ないのである。
それではマンション業者のいうように、建物が八割がた完成している、というのは履行の着手として認められるのだろうか。
実はここに二つ目のウソがある。
一般に履行の着手があったと認められるためには、売買契約締結とその履行行為との間に密接な関係がなければならない。
ところが新築マンション分譲の場合は、あらかじめ計画された販売スケジュールに沿って、工事も着工しているわけだ。
なにもWさんが買うと決めたことで工事が着工されたわけではない。
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